6月9日の夕刻、名鉄の犬山駅で降りる。はじめて降り立つ駅はいつもうれしい。駅前には、この国の地方都市では見慣れた空虚が広がるが、一歩、街に踏み込めば、昔ながらの街並も残り、落ち着きのある暮らしが想像できる。

なんで犬山まで来たかというと、アサヒ・アート・フェスティバル2004の一プログラム、『for family~うちのピアノ』で、昨日から4日間、アムステルダム在住のピアニスト向井山朋子が、この周辺の地域で、宅配コンサートというものを続けているからだ。
向井山は2003年の秋から、たった一人の観客のためだけに曲目を演奏する「for you」というプロジェクトを世界中で展開しているが、今回、企画者の森真理子は彼女と相談し、対象を個人から家族に拡大した。公募で選ばれた15家族のために、向井山がそれぞれのお宅に自ら出向き、家のピアノを演奏する。いったいどんなことになるのだろうと興味をそそられ、一部に合流させてもらったのだ。
2年ぶりに会う向井山は元気そうだった。しかし、ゆっくりと話している暇もなく、スタッフたちとこの日最後のお宅に向かう。
それは、古い家だった。間口は普通だが、とにかく奥行きのある間取りで、入り口の土間から狭い通路がまっすぐに奥の庭まで走り抜けて、その片側に畳の部屋が並んでいる。土間に面した最初の部屋に、アップライトのピアノが置かれていた。
母、娘、孫と7、8人の家族が集まり、ピアノを前にソファに座り、準備ができて、向井山が部屋に入ってくる。考えてみれば当たり前だが、彼女はきわめて普通に入ってきた。はにかむように自分を紹介し、2、3のこなれぬ会話が交わされる。そして軽くピアノの音を確かめ、曲目を告げると、彼女は突然、シミオン・テン・ホルトの「悪魔のダンス II」(1986)を弾きはじめた。
別に突然というわけではないのだが、この状況で、向井山の恐ろしいまでの集中力に支えられたエネルギッシュな演奏がはじまると、突然、という気にもなる。なんというか、ごく普通の平和な家庭の応接間で、突如、音が炸裂したという感じ。 プロジェクトの概要を読んでいるときは、ピアノにまつわる家族の歴史が解凍されていくのだろうとか、家で半分眠っているピアノに命が吹き込まれるのだろうとか、いろいろそれらしい意味をロマンティックに考えてもいたのだが、そんなことはすべて頭からふっ飛び、あっという間に20分ほどの演奏が終わる。
一瞬の沈黙があり、続いて拍手。家族の方たちも興奮した様子で、ピアノが生き返ったようだとか、それなりのことを語りはじめるが、おそらく、ほんとうのところはこの事態にどう対処していいのか、戸惑っている気がする。曲がショパンじゃないからという戸惑いではなく、この状況自体の非現実性に気がついた戸惑いだ。
私もそうだった。私はなんで、こんな国際的に活躍するピアニストの背中を、犬山のはじめてお邪魔するお宅の応接間で、今、間近に眺めて演奏を聴いているのだろう?しかし企画者の森真理子も、自分がなんでここにいるのかわからなくなってきたと、あとで感想を述べていたし、それは向井山自身も同じ想いのようだった。

私はこのごろ、アートというのは魔法のようなものだと実感しつつある。あまりにも陳腐な喩えに聞こえるかもしれないが、私はそう思う。マジックなのだ。それが魔術か呪術か奇術かは置いておくとしても、それはマジックなのだ。見なれた世界に、一瞬、見たことも聞いたこともない状況が出現する。それは当のアーティストの意図さえ超える場合もあるだろう。そしてわれわれは、その不可解な経験を通して、自分たちの日常をあらためて問い直す…。

この夜の犬山の20分も、私にとって魔法の時間だった。