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芹沢さま
返事が遅くなりました。環境に変化があり、これから住む場所も変わりそうです。
『生命潮流』の「差異に万歳」という一節を読んで、しばらく手が止まりました。差異が消えれば生命はひとつの、のっぺらぼうなどろどろのものになって地表を覆っていただろう、という一文に、『火の鳥』のある場面がふいに重なりました。有機物の塊のような生命体が大地一面に広がるあの惑星です。
すぐに粘菌の映像も探してみました。アメーバが集まって流れをつくり、全体がひとつの生き物のように動き、やがていくつもの塔のような形へと収斂していく。バクテリアの「ランダム・バイアス・ウォーク」が芹沢さんご自身の歩みに重なるというお話も、深く頷きました。方向は任意なのに、周りの濃度を測り続け、濃ければそのまま進む。迷っているようで、ちゃんと豊かな方へ向かっている。
「面白くなりそうな匂いがする」というような、人間でいう物事への嗅覚というやつでしょうか。現代社会においては「ランダム・バイアス・ウォーク」のような型の人生設計を組んだら、おそらく、教師や上司からはコンコンと注意を受けるでしょう。ですが、自然界では進化の終着として、そのような「型」に行きついた生き物もいる。立ち止まり、まったく別の方向に走りだす。芹沢さんがそうやって生きてきたように、自分もそんな生き方に共感します。
昔、影響を受けた音楽家にHamza El Dinという人物がいます。ヌビア出身のハムザは、もともと音楽家ではなく、カイロで電気工学を学んだ技師でした。しかしアスワン・ハイ・ダムの建設で故郷の村々がナイル川に沈むと決まったとき、失われゆく響きを残すために技師の道を捨て、音楽家になることを選びました。全く別の方向へ歩み出すのです。彼はウードを手に、ロバに乗って沈みゆく村々を一つひとつ巡り歩き、唄を覚えていきました。残したいという気持ちもあったでしょうが、ただ、消えていく前に、そこにある声を聴いておきたかった。それだけだったのかもしれません。
2011年に3.11が起き、震災の後、熊本には東北や関東から多くの人が移り住んできました。そのExodus的な移動によって、昔からの農の知恵を持つ地元の有機農家さん達と、持続可能な社会を模索する移住者達との劇的なケミストリーが起きていました。坂口恭平くんの「ゼロセンター」や、菊池の山奥で何十年も独自の活動を続けてきた「アンナプルナ農園」など。既存のシステムの外側に、アジールのような場所が自然と立ち上がっていた時期です。
ある日、集まりの中でダムの話になり、ハムザが映画音楽のために来日したときの話をしていると、アンナプルナ農園に移り住んできたOTOさんという音楽家が「それ、僕たちだよ」と。OTOさんは、山本政志監督の映画『ロビンソンの庭』で実際にハムザと共に音楽を担当していたのです。色々話すうちに意気投合し、あの頃は、しょっちゅう集まって、ムビラやウクレレを遊びながら教えてもらったり、自然農やインド哲学について夜が更けるまで話したりと、多くのことを学ばせてもらいました。
新しい音楽やムーブメントなど、何か面白いものを見つける度に互いに情報共有していたOTOさんが、ある日「こうき、これは絶対に見た方がいい。とてつもないものを見た」と猛烈に薦めてくれたのが、鹿児島のしょうぶ学園のドキュメンタリー『幸福は日々の中に。』でした。そこは「モノをつくることは生きること」という理念が中心にある福祉施設です。中でも強く印象に残ったのが、入居者と職員たちによる演奏でした。それぞれが思い思いに出す音が、気づいたら全体がひとつのうねりになっている。画面から溢れ出る圧倒的な生命のノイズに打ちのめされた後、この作品がP3のプロジェクトのひとつ「Silent Voice」による制作と知ったのは、芹沢さんと出会ってずいぶん経ってからのことです。詳しく話したことはありませんが、Silent Voiceの話をずっとお聞きしたいなと思っていました。
ここ最近、芹沢さんのデリダのアーカイヴ論への問い。「DAOだとしても鍵は家父長が持つ一本ではないのか、そこでも取捨選択は必要ではないか」について、ずっと考えていました。確かに、記録する行為の起点には必ず個人のバイアスが宿る。それは避けようがありません。
自分がイメージするDAOのアーカイヴは、標本を並べる博物館のガラスケースではなく、あらゆる有機物が投げ込まれるジャングルの林床、底なしのコンポストです。従来のアーカイヴの「家父長」は、腕利きの剥製師に似ています。鍵のかかった部屋に、独占的なバイアスで選び抜いた文化の死骸を、永遠に変容しない形で並べる。美しいが、動かない。
対してDAOのアーカイヴには部屋も鍵も剥製師もなく、あるのは広大な地面だけ。メンバーは誰でも、価値を認めたものをそこに投げ込める。その瞬間は個人のバイアスが全開ですが、ここからが本領です。投げ込まれたものは凍結されず、参加者たち——森の菌類やミミズやバクテリアのような「分解者」——がそれぞれの関心で触れ、タグをつけ、分岐させ、あるいは無視する。
多くの手に弄ばれたデータは発酵し、姿を変えながら共通の腐植土となる。誰の関心も惹かなかったものは消去されるのではなく、土の深くへ埋没して、いつか誰かが掘り起こすかもしれない休眠細胞のまま眠り続ける。最初の個人バイアスは、多様な参加者という酵素によって時間をかけて揉みほぐされていく。選択の権力は、一人の剥製師の手から、代謝というプロセスそのものへ移行する。中心を欠いたまま秩序が生まれる、発酵する記憶の倉のイメージです。
人が共感すれば光が当たり、共感を得なければ埋もれる。ただ、書きながら思ったことがあります。仕組みを複雑化するほど、そこに辿り着ける人は絞られていく。家父長という一つの鍵を手放した先に、また別の鍵(ウォレット)や、仕組みそのものへの理解という鍵が生まれてしまうのかもしれません。
むしろ、必ずバイアスがかかるということを肯定して、ハムザのように黙々と拾い集め、呼応した複数人で、緩やかなコレクティブとして少しずつ輪が広がっていくこと。そこから、どのようにアーカイヴしていくかも「ランダム・バイアス・ウォーク」のような型で決めていった方がいいのでは、という気もしています。
迷っていること自体を書くのは恥ずかしいですが、どうしても答えが出なかったので、出ないことをそのまま素直に伝えようと思いました。プロジェクトとしてやっていくにあたり、もっとシンプルにした方がいいのか、今も揺れています。
小さく軽く。地衣類は、菌と藻が寄り添ったまま、何十年もかけて岩の色をゆっくり変えていくそうです。急がず、宣言もせず、ただそこに留まり続けることで、気づけば風景そのものが変わっている。そんなふうに少しずつ、何かの表面を変えていければと思っています。
また、お仕事の折り合いがついた頃に、お便りをお待ちしています。
2026年6月30日 川口弘貴
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川口さん
こちらこそ、お返事に時間がかかってしまいごめんなさい。でも、これくらいの時間の流れがちょうどいいよね。手書きの手紙はこんなふうだった。
DAOのアーカイブイメージ、生態系になぞらえて話してくれたので、だいぶ想像力が広がりました。ますます興味を持ってきたのだが、今、ぼく自身が体験できる場って、あるんだろうか?試しに使ってみたい。いや、使うというより加わってみると言うことか?
しかし川口くんがプロジェクトとして始めるなら、あまり考え込まず、とにかくやり始めるのが一番だと思う。そしてやり始めるのなら、規模を大きくしないこと。港千尋と『言葉の宇宙船』という本を作ったとき、進化心理学者のロビン・ダンバーが提唱した「ダンバー数」というのを教えてもらった。彼によると、ひとりの人間が安定した関係を維持できる個体数の認知的上限は、平均150人ということになるらしい1。気のおけない仲間ということだね。
最近は歳をとったから余計そう思うのか、顔が見える範囲でやるのが一番いいよ。しかしこれが仲良しグループとして閉じてしまうと、ろくなことにならない。わかるやつだけがまとまればいいと純粋化が始まると、排除が始まる。こういう純粋化は嫌というほど見てきた。一見かっこいいけど、「純粋化」は袋小路につながる。だからぼくは不純であることが、もう一つとても重要なことだと思っている。今流に言えば多様性かな?
ハムザさんやOTOさんとの出会いの話は面白いね。出会うべくして出会ったような気がするし、出会い、邂逅こそ、人生の醍醐味だな。不思議でたまらないが、この人、この光景、この音、この匂い、よくぞ出会えた!という感慨。これこそ、生きていく醍醐味だと思う。
では、Silent Voice2のことも話しておこう。Silent Voiceを一緒にやっている相澤久美、ぼくは大袈裟だから盟友っていう言い方はあまりしないのだけど、まあ、盟友というのが一番合っているかもしれない。彼女との出会いも、それこそなんで!という偶然の出会いなんだが、その話をしていくと長くなるから、それはやめておくね。
で、その久美が抱えていた沖縄のあるプロジェクトのために写真家が必要だということで、旧知の茂木綾子という写真家を紹介した。この話も長くなってしまうが、すべてはつながっているから、仕方がないな。茂木はP3でキャノンがやっていた『写真新世紀』という展覧会で頭角を表した写真家だが、親しくなったのはP3にシネノマドのヴェルナー・ペンツェルが来たとき、通訳としてついてきた時からだった。実はヴェルナーの妻でもあった。シネノマドは素晴らしいフィルムメイカー・ユニットで、彼らの『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』という映画は歴史に残る作品だと思っている。
さて、一緒に仕事をするなかで、久美と茂木は交流を深め、実は映画を撮りたいんだと久美に相談したらしい。久美は建築畑の人間だし、映画なんてどうやって作るのかもわからないから、自分たちを引き合わせた芹沢も巻き込もうということになり、文化庁からの助成金も必要だったから、そのためにも、とにかく個人ではなく、映画のプロダクションをつくってしまえということになり、そうやってできたのがSilent Voiceだった。そして茂木綾子の『島の色 静かな声』という作品をつくった。
本当はここでSilent Voiceは解散するつもりだった。なのだけれど、人生は本当に不思議なもんだ。3.11が起こり、久美が仙台で濱口竜介、酒井耕と知り合い、3人でぼくのところに相談にくる。濱口、酒井が撮っていた『なみのおと』という作品の続編をSilent Voiceでプロデュースしてくれという相談だった。久美もぼくも映画業界のことなんかほとんど知らないわけだけれど、構想も濱口、酒井という両監督もこれは!と思えたので、じゃあやってみるかとその場でプロダクション引き受けることになったんだ。本当に人生、わからない。邂逅こそ醍醐味だと書いたけど、その意味、わかってくれますよね?
こうしてSilent Voiceは続くことになり、そんななか、ヴェルナーが訪れた鹿児島のしょうぶ学園に感動して映画を作りたいと言い出して、あの映画、『幸福は日々の中に。』が生まれた。ぼくもしょうぶ学園に行ったけれど、本当にいい風が吹き抜ける、素晴らしい場所だった。
では、またね!
2026年7月16日 芹沢高志
1) ロビン・ダンバー著、鍛原多惠子訳『人類進化の謎を解き明かす』インターシフト
2) Silent Voice