ケネス・ブラウワーに『宇宙船とカヌー』という本がある。『タオ自然学』の訳者、田中三彦さんから、お前は「理科系」だし、JICC出版局から頼まれているのだが、自分が忙しくてできないから代わりに翻訳してくれないかと誘われて翻訳することになった。しかし一冊を丸ごと訳すなんて私にとっては初めての経験だったし、どうなるんだろうと不安でもあった。結局、妻の真理子や編集者の金坂留美子に手伝ってもらいながら取り掛かったのだけれど、すぐにも引き込まれ、さすがに訳了した夜にはひとり外に出て星空を見上げ、深い感慨に耽ったものだ。

この本は量子電気力学の基礎を築いた著名な物理学者、フリーマン・ダイソンと、彼の息子ジョージ・ダイソン、二人の生き様を描いたものだった。父と息子の対立と和解と評されることもあったけれど、そう単純な図式に収まるものでもなかった。

フリーマン・ダイソンは宇宙を旅する巨大な宇宙船の建造を夢見ていた。一方、息子のジョージは若い頃にドロップアウトしてカナダ、ブリティッシュ・コロンビアで樹上生活を送ったりしながら、海を旅する巨大なカヌーの建造を夢見ていた。本書にはこの実在の親子の生き様を縦糸に、人類の宇宙進出、エコロジカルなライフスタイル、惑星地球、海、テクノロジー、クジラ、地球外知的生命との交信等々、さまざまなテーマが極めて有機的に織り込まれている。どれも、当時は環境計画に従事していた私自身が強く引き寄せられてきた話題でもあったから、私は否応もなく引き込まれていった。それにジョージは私の2歳年下だし、当時の時代の匂いというものも、嫌というほど実感できた。

内容もそうなのだが、今となって思えば、この本の記述方法そのものが、その後の私に深く影響を及ぼすことになったのではないかと思う。確かにこの本はダイソン父子の伝記的な要素も強いのだが、だからといって、これは「伝記」ではない。現在進行形で、二人の人生に著者であるケネス・ブラウワー、つまり<私>が深く関わっていく。その記述のあり方そのものが、私には鮮烈だった。「私」は世界の一部なのだから、私の記述は世界に影響を与えてしまい、「私」が加わることで、「私」抜きだった世界は以前と違ったものになっていく。

文化人類学者が未踏の部落に入って「客観的」に彼らの生活を記述しようとしても、それは文化人類学者の彼ないし彼女がそこに入ってくる前の部落の生活ではない。観測や記述という行為自体が、観測・記述対象を「変えて」しまっているわけで、これは考えてみれば、すべてが関係の織物である世界にあっては、当然のことであるとも言えるだろう。なのでこの本は、私にとって忘れることができない一冊となったのである。

 

しかし最近、ジョージが『アナロジア』という本を書いていると知って、仰天してしまった。あの「ヒッピー」のジョージが、それもポストAI時代の展望を描いているというのだ。確かに姉のエスター・ダイソンもIT業界のオピニオンリーダーだし、両親も両親だから、なんの不思議もないのだが、ジョージにはすでに『チューリングの大聖堂』という著書があり、科学史家としての高い評価を獲得しているのだという。

ジョージには東京で会ったことがある。彼のカヤックに惚れ込んだ友人たちと、一人乗りのカヤックの設計と製造を依頼した時のことだ。実際に会ったジョージ・ダイソンは物静かで、つねに微笑みを絶やさない、非常に好感が持てる人物だったが、時折、質問に答えようと何かを真剣に考える時などは、これは悪い意味ではまったくないのだが、「狂気じみた」眼差し、目を見開き、何かを凝視するような鋭い眼差しが生まれて、それがとてつもなく印象的だった。そう、ケネスが書いていた通りだ。フリーマン・ダイソンもそうだったらしい。

ジョージのカヤックは長いこと東長寺P3に置かれてあったが、いつ見ても美しく、惚れ惚れとするものだった。

『アナロジア』はデジタル・コンピューティングとアナログ・コンピューティングに関する思索の発展史を鋭くも的確に追っていき、今はそれしかないとまで思われているデジタル思考のその先に、アナログ思考との融合の時代が訪れると予言する。考えると頭がおかしくなりそうだったが、数学科に在籍していた頃、無限には整数のように数えられる無限と、実数のように数えきれない無限とがあるのだと教えられ、今も気持ち悪いのだが、なるほどそういうものかと一応は納得した覚えがある。今は数えられる無限に基づいたデジタル思考が優勢を極めているが、より進化して自然を限りなく模倣しようとしていくと、必ず数えきれないアナログの世界が復権していくというのがジョージ・ダイソンの展望だ。

もっとも『アナロジア』ではこうした主張を展開するために、イルカの話や樹上の家や彼が学んだカヌー「バイダルカ」やアメリカ先住民たちの世界などが語られていくから、コンピュータの話だと思って読み始めると大きく混乱していくだろう。しかし私にとっては、ジョージ・ダイソンの側から書かれた『宇宙船とカヌー』の副読本と思われ、久しぶりにあの世界に帰ってきた思いで愉しめた。

しかし果たして、『宇宙船とカヌー』で、一緒に旅するなか、一応の和解、というか折り合いを見つけていったフリーマンとジョージのように、デジタル思考とアナログ思考は和解、あるいは折り合いを見出していけるのだろうか?そうなればいいなあと心の底から思う。

(2024/8/27)


<参考>

『宇宙船とカヌー』ケネス・ブラウワー著、芹沢高志訳、ヤマケイ文庫 2014

『アナロジア AIの次に来るもの』ジョージ・ダイソン著、服部桂監訳、鈴木大也訳、早川書房 2023