港千尋と対談をするために、彼の九段下のオフィスに向かう。話は例によって群島を巡るように進んでいくが、今はどうしてもCOVID-19パンデミックの周辺から離れられない。そんななか、現在は誰もが口にするソーシャル・ディスタンスという概念について、文化人類学者のエドワード・ホールが半世紀近くも前に言及していることを教えてもらった。1966年出版の『かくれた次元』(みすず書房)。この本なら読んだことがある。都市・地域計画に関わるものなら必読書といってもよい名著であり、これまで私も読んだつもりになっていたが、ソーシャル・ディスタンスのことなど、まったく忘れていた。家に戻って読み返せば、確かに「人間における距離」という項目で、「密接距離」、「個体距離」、「社会距離」、「公衆距離」の四つが論じられている。
それにしても、『かくれた次元』は本当に示唆に富む本であると、あらためて思い知る。本書の中心テーマは、「社会的・個人的空間と、人間によるその知覚との問題」とされる。港千尋はホールが「予示的」と名付けた概念について注意を促してくれたが、これは私の現在の関心とどんぴしゃりで、思わず興奮してしまった。予示的。Adumbrative。難しい言葉だが、umbrativeだから、傘をさしたときにできる影だろう。日傘が影を落とす。それは予兆であり、「予影的」と訳してもいいのではないだろうか?
ホールは言う。わたしたちは「自分の言動に対して他人が反応するとき、その人の態度におこる微妙な変化を敏感に感じとる」。そして、取り返しのつかない事態となる前に、自分と相手の距離を修正していくわけだ。
落とされる影とは兆しだろう。ホールは人間同士のコミュニケーションを分析しているわけだが、他の生物、非生物との関係、もっと言えば周囲の環境との関係でも、同様のことが言えるのではないかと思う。周囲に現れる微妙な影に鋭敏になれるかどうか?どうも最近のわれわれは、空気を読むとか読まないとか言うわりには、こんな基本的な能力を弱めているような気がしてならない。
さらに言えば、アートの力も予示的であると考えられる。つまりアート作品は何らかの影を漂わせ、われわれを幻視へと誘っていく。影に気づかなければ、アートの力もそこで消えてしまう。
影は重要だ。影が響きあうことも。ゴーストとも繋がっていそうな気がしてならない。
距離について、もっと考えねばならないなと思いながら、たばこを吸いに外に出る。千鳥ヶ淵緑道の緑をぼんやり眺めていると、スズメが近くにやってくる。スズメか……。とその時、このスズメと目が合う。確かに、スズメは私を見つめていた。
それで思い出したのだが、数ヶ月前の夜の10時頃、家に帰ろうと近所の幼稚園の横を歩いていると、その庭に何かの気配を感じる。目を凝らせば、タヌキだった。遊具の上に大きなタヌキが座っていて、じっと私のことを見つめている。
だんだんと気象も激しさを増し、雨も太陽も強烈だ。今年は植物たちに勢いがある。COVID-19の蔓延で、わたしたち人間の活動も抑えられている。野生の力に気づくことも多くなった。
かなり乱暴な言い方だが、わたしたちの生息場所、ビオトープを「都市」と呼んでみよう。高層ビルが林立する鉄とコンクリートとアスファルト漬けの風景だけでなく、里山も、人里離れた小さな畑や大規模プランテーションも、ここでは都市と呼んでみる。ホールが言うように、「人間は今や、彼が生活している世界、エソロジストたちがビオトープ(棲み場)とよぶもの全体を、現実に創りだしてゆく立場にある」。この人間が自ら創りだす自分たちのビオトープを、ここでは都市と呼んでおく。
しかし、当然のこととして、都市には野生も混在している。わたしたちのルール、わたしたちの棲みかたとはまた別のルールに従う、無数の野生の王国だ。わたしとタヌキの遭遇のように、他者のビオトープは幾重にも重なっており、野生の力が勢いを増せば、各ビオトープの境界面で、他者との接触も頻度を増していくだろう。
世界大で見れば、COVID-19だけでなく、次々に繰り返される新たな感染症の蔓延も、人間活動が世界化したことと無縁ではない。われわれは無防備に、それまでは足を踏み入れることもなかった土地に侵入し、そこを開発している。遭遇することもなかった他者のビオトープと、思いもかけず接触するわけだ。
しかしCOVID-19の蔓延で、われわれのビオトープ自体にも大きな影響が現れている。人間同士の濃密な接触が感染を広めると言われるわけだから、当然非接触型の技術が勢いを増していく。オンラインでの会議が推奨され、それはビジネスの現場だけでなく、学校の授業からさまざまな集会、スポーツやエンターテイメント、飲み会からデートにまで広がっていく。
一方、福島の原発廃炉に向けての作業などでも明らかだが、ここで活躍しているのはロボットたちだ。わたしたちは、あんな極端に過酷な環境下での作業には耐えられない。人間ではないもの、言ってみれば自動人形たちに、自分たちの運命を任せるより他にない。今は人間が遠隔で操縦しているが、そのうち自動的に状況を判断して、自立してミッションを遂行していく人形たちも出てくるだろう。
自動人形たちの活躍の場は、わたしたちの日常生活のなかでも急速に広がり始めた。生産から接待の現場まで、生身の人間を自動人形に置き換えようとする圧力は、COVID-19パンデミック下でますます強まっていくだろう。COVID-19パンデミックは、原発事故よりは弱いものの、特定地域だけに収まらない、世界大に広がった危機的状況であるわけだから、わたしたちの日常に自動人形たちの活躍の場が広がってきても不思議ではない。
それに現在の極端な情報資本主義社会は、中間所得層からの搾取を終えれば、躊躇なく、もっとも金のかかる社会パーツ、つまり労働者を自動人形たちに置き換えていくだろう。今や世界中のマネーの多くを動かしているのはAIなわけだし、極めて合理的な判断と言えるかもしれない。
都市、野生の王国、自動人形の勢力範囲が、今、大きく変わりつつある。
(2020/8/21)