別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」が開催されてから、すでに2年以上が経つ。計画当初は1回で終わらせようと考えたフェスティバルだが、幸い好評を得たこともあり、3年に一度開催しようということになって、そうか、それなら腹を据えて、「精神とランドスケープ」の実験をとことんやり通してみるかと決心している。
「精神とランドスケープ」というのは、東長寺でP3をはじめた当初からの関心事で、精神がランドスケープに働きかけ、ランドスケープが精神に働きかけ、その両者の相互生成過程として、この世界を動的に見ていきたいという、言ってみればわれわれの基本姿勢となるものだ。P3にとっては、アートが先にあるわけではなく、まず世界観,つまり世界の見方の方が重要だった。これは今も変わりない。その世界観を表明するために,アートがあるのである。

11月3日、「混浴温泉世界2012」の記者発表があり、そこで私は混浴温泉世界総合ディレクターとして、こんなステートメントを発表した。

「過去のかけらと未来のかけらが奇妙に混在する場所―別府。私たちはこの場所を舞台に、多様性、寛容さ、循環性に基づく、新たな世界の見方を提示したいと考え、2009年、『混浴温泉世界』を開催しました。

今年,私たちは未曾有の大災害を経験し、これまでの生き方をそれぞれ見つめ直しているわけですが、国際社会に目を向けても、既存の生き方、やり方、世界の見方が大きく揺らぎはじめているように思います。このような時期に、もうひとつ別の世界観を実践的に表明することは、たとえそれがささやかであったとしても、私たちの希望につながると信じ、私たちは2012年、『混浴温泉世界 2012』を開催することにいたしました。

その理念やヴィジョンは2009年のときと変わりありませんが、戦略的なレベルにおいては、次のステージに向かおうと考えています。2009年においては、大型温泉観光地としてのステレオタイプな別府イメージを壊し、また別の別府があることを体感していただくために、アートをひっそりと別府に埋め込み、この土地を回遊してもらうことを第一の目的にいたしました。これがある程度成功を収めたので、今回はより個別の「場所(サイト)」、個別の「アート」に絞り込み、場所×アートの力を、より鮮明に強調したいと考えます。
国内外から8組のアーティストをお招きしますが、「8組のアーティストが参加するアートフェスティバル」ではなく、「8つの個性的なアートプロジェクトが同時に展開するアートフェスティバル」と考え、ひとつひとつのプロジェクトを先鋭化させていきたいと願っています。別府八湯になぞらえれば、各サイトが、8つの汲めど尽くせぬ「想像力の源泉」となることを目指しているのです。」

先回は、アートフェスティバルというものへの理解を広げることで精一杯だったから、あまり強調することはなかったけれど、「混浴温泉世界」とはアートフェスティバルである以前に、まず、ひとつの世界観だった。今回はそのことを、冒頭で強調した。

まあ今回は、こうした記者発表や、文化庁長官も出席するパネルディスカッションなど、公式行事をこなすことが最大の仕事だったが、個人的には、アーティストプレゼンテーションに北京から呼んだ混浴温泉世界2012の招待作家、チウ・ジージェ(邱志傑)との出会い、そして交流こそが,もっとも印象に残る収穫だった。
ビザが取れなくて一日遅れで来日したジージェは、快活で、精力的で、なんとも魅力的な男だった。そして11月6日、30分ほどのプレゼンテーションを聞いたのだが、そのとき、彼が本物のアーティストであることを確信した。
書道家としての自分を紹介したいという言葉で始まり、お寺で書を習い、練習のため、水で椅子に字を書く話に感銘を受け、お手本を1000回なぞって習字するのだが、同じ紙になぞるから、最後にはただ真っ黒の紙になり、大学に入るとフルクサスに共感しと、話は次から次へと予想外の方向に展開していく。20年前、蔡國強のプレゼンテーションをはじめて聞いた日のことが鮮明に蘇る。
あとでジージェにそのことを話すと、彼は自分も福建の出身で、蔡國強やファン・ヨンピンとは非常に近いんだと笑顔で答える。そしてフッケン・アート・マフィアとうれしそうに付け加えた。

ジージェと鉄輪を歩く。彼は混浴温泉世界2012に、温泉の噴気を使う作品を構想していたから、そのロケハンにつきあったのだ。彼の歩みは猛烈に早く、煙草を吸いながら、どんどん先を歩いていく。立ち上る噴気を見れば写真に撮り、地図に書き込み、思いつきをデッサンする。手を休めることがなく、目を休めることもなく、頭を休めることもない。生粋のアーティストだ。そう、アーティストというのは24時間アーティストであって、「職業」なんかじゃないんだな。そんなことをあらためて思わせてくれるアーティストに久しぶりに会うことができて、一緒に歩くのが心底楽しかった。そうだ、この感覚が忘れられないから、私は今もこの仕事を続けているのだと、そんなこともしみじみ思う。
充実して濃密な、鉄輪の時間だった。
(2011/12/05)