2011年3月11日14時46分18秒,牡鹿半島の東南東約130kmの三陸沖で、マグニチュード9.0の巨大地震が発生し、これに続く津波や福島第一原子力発電所の事故も重なって、東日本は未曾有の大惨事に呑み込まれた。ほぼ二ヶ月が経った今も被害の全貌はつかめず、原発からの放射性物質漏出も止まっていない。
なんという悲しみだろう…。ビートたけしは何万人が亡くなった大災害ということではなく、かけがえのない人を亡くした災害が何万件となく同時に起こったのだという趣旨の発言をしていたが、まさにそういうことなのだ。そしてその災害は一時では終わらず、刻々と様相を変えながら、余震のように、今もゆっくりと継続している。とくに原発周辺地域は、「震災」というにはあまりに過酷な状況に追い込まれ、出口も見えない。

震災前の2010年9月26日、福島県いわき市のいわき芸術文化交流館アリオスで、ひとつの映像制作ワークショップが開かれた。2011年2月11日,12日に開催される「いわきぼうけん映画祭」での上映を前提に、学生、会社員、自称フリーター、主婦など、それまで映像作品などほとんどつくったこともないごく普通の人々が、いわき、南相馬、北茨城などから集まって、美術家、岩井成昭の指導のもと,自分たちの映像作品を3ヶ月かけて制作するというものだった。参加者は4つのグループに分かれ、4つの小品が完成し、予定通り「いわきぼうけん映画祭」で公開された。仲間たちの熱い拍手で盛り上がり、それぞれの人生の1ページ、楽しかったひと冬の経験として、すべてはここで終わるはずだった。しかしひと月後、地震が起こり、これら映像のなかに残された人々の生活も風景も、なにもかもが一変してしまう。

4月24日、吾妻橋のアサヒ・アートスクエアで「いわきターニング・ヴィジョンズ上映会」が開かれた。「ターニング・ヴィジョン」とは,岩井がこのワークショップにつけたタイトルである。
ネット中継を通して、アリオスに集まった関係者たちからいわき、そして福島の現状が報告されたあと、ワークショップの成果である4本の作品が上映された。ある男の妄想をサイレント映画風にコミカルにまとめた『Mambo de Alios~出会いのプレリュード』(12分)、3つのエピソードを通して成長ということを問う『susiki』(9分)、カミングアウトで確認される親父3人の友情の物語『セカンドライフ』(14分)、三五八漬けの魅力を通して郷土愛に目覚める女ロッカーのPV風作品『3・5・8』(7分)。どれも編集段階で岩井や東京芸術大学助手、西村明也がかなりの手助けをしているから、一応のまとまりは保たれて、安心して観ていられる。内容的にはまぎれもなく「普通の」市民の作品で、「無邪気」で、「たわいない」とも言えるけれど、それはプロならつくるはずもないという意味で、かえって度肝を抜く新鮮さに満ちていた。
しかしここで、作品の良し悪しを語りたいわけではない。各作品の制作者なら実感していることだが、この「普通」で「無邪気」で「たわいない」ことが、今となっては、いかに奇跡的に思えることか…。
『3・5・8』の監督である三原由起子が,私にこんなことを言う。「浪江なんか何もないと思ってあそこを出てしまったけど、今は何もないことまでなくなってしまったんです」。「何もない」ことまでがなくなる…。彼女たちの喪失感はそこまで深い。三原の出身地である浪江町は、ほとんどが福島第一原発から半径20キロ圏内にある。

それにしても、偶然とはいえ、岩井成昭はワークショップにすごいタイトルをつけたものだ。アーティストの直観というやつだろう。彼は変哲もない(と思える)日常が、自分たちの「まなざし」によって魅力的なものに変わっていく瞬間を「ターニング・ヴィジョン」と規定して、今回の映像制作ワークショップの基本姿勢にしたわけだが、今となれば、あまりにも象徴的な命名だった。
ヴィジョンを変える。それが今、われわれが全力で取り組まねばならない第一の課題であることは間違いない。先導イメージを変え、ライフスタイルを変え、日常を変える。
三五八漬けとは南東北に伝わるこうじ漬けで,漬け床となる塩と米こうじと蒸米の配合比が3:5:8であることから,そう呼ばれるようになったらしい。これまでは原子力が「最先端の」未来イメージだったかもしれないが、そんなメッキははげ落ちた。もっと他のものに、そう、たとえばこのこうじ漬けをも生み出した発酵技術に、われわれの未来を託したっていいじゃないか?『3・5・8』を観ながら、そんな思いに駆られるのだ。
(2011/05/06)