根岸吉太郎監督の『雪に願うこと』を観た。どのシーンもひたすら懐かしく、そう、この映画は2002年の帯広『デメーテル』で会場に使わせてもらった帯広競馬場が舞台なのだ。それだけでなく、主人公を好演した伊勢谷友介は資生堂の「ワード・フライデイ」で石川直樹に紹介されていたし、音楽をつけた伊藤ゴローは6月25日のアサヒ・カフェナイト「If I could only remember seeing」の出演者。偶然のつながりに不思議な思いがする。プロデューサー、田辺順子のプロダクション・ノートを読むと、最初にメガフォンを握るはずだった相米慎二が、帯広競馬場にやってきたのは2001年2月の「ばんえい記念」レースのときだという。ちょうどわれわれがデメーテルの会場を必死に探している頃じゃないか。ああ、相米さんもあそこにいたんだと思うと、すこし胸が熱くなる。相米慎二がその年の9月に急逝し、意思は根岸吉太郎に引き継がれた。

で、映画だが、登場人物の人生設定がやや類型化しすぎている気もしたけれど、間違いなくすばらしい作品だった。東京国際映画祭で高い評価を得たのも納得できる。
佐藤浩市演じる主人公の兄、矢崎威夫はばんばの厩務員で、今は帯広競馬場の厩舎にいる。彼が経営する矢崎厩舎は22号厩舎で、デメーテルではキムシュージャが「ホームレスの女、カイロ、2001、6分33秒」を発表したところ。しかし、小泉今日子があそこの階段を降りてくるとはなあ…。
ばんえい競馬は競走馬がトラックを疾走する競馬ではなく、ばんばと呼ばれる使役馬が重い荷を乗せたそりを引き、二つの山のある200メートルの直線コースを競う北海道特有の競馬であり、開拓時代の記憶を色濃く残す。興味深いのはこの競馬が、北見、岩見沢、旭川、帯広と全道4カ所の競馬場を順に回って開催されることだ。帯広は比較的雪が少ない氷の世界だから、極寒の冬、ばんえい競馬はここで開催される。

この回遊性が、競馬場に不思議な雰囲気を漂わせる。観戦スタンドの奥に広がる厩舎地区は、競馬が開催されていなければがらんとしていて、立ち並ぶ厩舎の前の通りも人気はない。カシワの大木が風に揺れ、レモンソウやヘビイチゴが生い茂る。しかし、競馬開催の前になると、厩務員の家族や騎手、馬たちがここにやってきて、こつ然と街が生まれるのだ。
一度そういう場面に遭遇したが、それは本当にあぜんとする体験だった。今まで何なのか見当もつかなかった閉まったプレハブや建物に灯がともり、ああ、ここは食堂、ここはコンビニ。銭湯もあれば馬の診療所も開かれている。宮崎駿の『千と千尋の神隠し』では、夕暮れのなか、トンネルの向こうの不思議な街に灯がともり、突然、街の営みがはじまるが、ちょうどあんな印象だった。
年に一度、なにかがここにやってきて、また去っていく。そのことが、この競馬場厩舎地区に、ある種の、不思議な神々しさを与えているのではないかと私は思う。

『雪に願うこと』でも、東京で事業に失敗した主人公は兄のいるこの競馬場にたどり着き、一時の生活を送り、また、現実と向かいあうためにここを去る。この映画もまた、帯広競馬場に死と再生の力を見いだしているのだろう。