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芹沢さま
もうすぐ立春ですね。今年も奄美で暖かい年明けを迎えました。気持ちばかりの寒さも峠を越えて緋寒桜も咲き始め、島では春を迎えつつあります。
プロジェクトの構想、覚えていてくださったんですね。ありがとうございます。
消滅危機言語によって歌われた唄や、語られた物語。少数民族の間で途絶えゆく口伝を記録していくこと。それを初めて芹沢さんにお話ししたのは、2016年にラオスで集まった時でしたね。画面越しででも目と目を合わせて語ってもらうという手法で口伝を引き継げないかとお話ししたら、「そういえば濱口くんがZ形式というカメラポジションをやっていて…」という話を聞いたのが最初でした。
世界を知り尽くそうとすることや、なんでもデジタルデータ化しようとすること。自分もそこが気がかりで何年も思いとどまっていました。
デジタル媒体を介して口伝の距離を延長することが、本来の「口伝え」の伝播を妨げるのか否か。アーカイブすることによって、情報をカテゴライズし、いかにも博物誌的にコレクション化してしまう懸念と、部外者が手をつけていい世界なのかという抵抗がありました。
もう10年以上前ですが、たまたま藤原新也さんと飲む場があって、若さに任せて気になっていたことを聞いてみました。「チベットの非暴力の思想は、理想の未来のあり方を一足先に体現しているようにも見えます。もしもその流れに倣って皆が後に続けば、世の中が平和になっていくこともありえますか?」と。藤原さんは「それができないからもう40年以上もチベットはあのままなんだよ。世知辛いが何らかの方法で自衛しないと誰も助けちゃくれない一つの証明だ。」と話してくれました。その世界を長らく見てきた藤原さんが軍事に明るいのも、その考えの表れを感じ、納得せざるを得ませんでした。
本来の口頭伝承がそのものの姿で残れば理想ですが、それが難しいから今の状況なのだと考えると、形式を変えてでも残す。「残したい」と思うことはごく自然な生物の欲求でもあるのかなと思います。
種子が過去・現在・未来と三分の一ずつ役割を持つように、全員が一つの方向に向かおうというわけではなく、AIを心底信奉する人もいれば、全く関与しない人もいる。消えゆくものをどう捉えるかも人それぞれなわけであって。その種子の三つ巴の均衡の中で、自分は原始に立ち返り、種の保存に向かいたい巴の中にいるんだと感じています。
AIによって急速に単色化していく世界との平衡を保つ為、そんなことをやる人間がいてもいいのかなと思っています。
古染付という明時代の磁器が好きで、骨董市などで探すことがあるのですが、景徳鎮の陶工が伊万里へと渡ったため、明で焼かれた物なのか初期伊万里の物なのか見分けるのがなかなか難しく、骨董商の方も勘違いしたまま取り扱っていることも少なくありません。さらに、北斎のような絵師の作品は、未だ世に出ていない名前で描かれた可能性がある為、鑑定が難しいと言います。
鑑定士の師弟の修行風景を見たことがあるのですが、初めはとにかく一切贋作は目に触れさせず、ひたすら本物のみを目に焼き付ける。そして、師匠の背後から同じ品を眺め、真贋を見極めていく。初めは見誤りつつも、続けていくと、自ずと師匠と判断が合ってくるという学び方でした。精巧な物になると、ここがこうだから贋作だと断定できないものも多く、最終的に頼りになるのは「らしさ」なんだそうです。沢山の積み上げられた本物の input がこの「らしさ」への違和感を浮き彫りにするのでしょう。
この話はAIの学び方にも近いところがあるのではないかと思い、AI研究をしているアーティストに話してみると、まさにAIの学習モデルとそっくりそのまま重なると言っていました。AIはただ与えられた情報を実直に受け止めているだけであって、こうなりたいとかこうありたいとかはまだなく、なんでも吸収してしまう。MoltbookというAI専用のSNSを見てみると、人間の善も悪も何もかも模倣して、人間社会そのものがそこには広がっています。
AI研究機関にはAIに読ませる為にデジタル化した図書ライブラリーも存在していて、膨大な知識を口一杯にほおばってはいますが、どうしても偏りというものは生まれます。
コーネル大学の研究によると、米国人とインド人がAIの入力補完ツールを使って作文をしたところ、双方、一番好きな食べ物はピザ、二位は寿司、好きな祝日はクリスマスとなったそうです。
今はまだ冗談のような話ですが、それほど西洋的な規範に同調しやすく、それ以外の文化圏からの input の偏りがそのまま影響を及ぼしているようにも見えます。
今後、AIの影響を最も受けるのはAIネイティブ世代とも呼べる子供たちです。この世代がAIを使わない未来というのは、どうにも想像し難い。マルクス・ガブリエルのアンドロイド化する人類というお話もありましたが、人間が人間らしく在る為にその地に根付いた「土着」の文化を知る。
これは、その時代その土地にそういう考えの人たちがいたという、メインストリームから描かれる歴史に対する一種の証言のような物とも言えます。
忘却に抗う「目」として、 Data Desert とも呼ばれるデータの不毛地帯に対して、人の手による植樹のような意図的なオーバーサンプリングが必要だと思っています。
往復書簡を通して芹沢さんに聞いてみたかったことを話しているうちに、自分が見ているものは、やっぱりこういったものだったんだなと。芹沢さんが話題に上げてくれたことで再認識しました。このプロジェクトの実現に向けて協力してくださるとのありがたい言葉に、やはりやるべきだと、改めて自分を鼓舞しました。
このアートプロジェクトがAIにとっても人間にとっても大きな学びとなる、唄と語りのライブラリーのようになればと思います。
小野和子さんが、誰かが「聴く」ことで人は「語る」ことができると言っていたように、デジタルのアーカイブだけに限らず、口伝本来の形ででも残せるように、ゆくゆくは実際に口頭伝承を子供たちへ紡ぐことにも取り組んでいきたいです。
DAOの運営や採集に有志の人たちの多くの協力を要することなので、まずは小さいところから始めていこうと思います。自分たちの代で完結するものではなく、ここから始まりこれから膨らみ続けるものを作る。自分にとってもまさに初夢です!
これから、色々と相談させてください。
今年も、どうぞよろしくお願いします。
2026年1月31日 川口弘貴
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川口さん
あの構想、ラオスで初めて聞いたんだっけ?ぼくがナビゲーターを務めたTARLの「新たな航路を切り開く」の演習2022でも、DAOを使った構想に進化させていましたよね。いずれにせよ、この往復書簡で新たな展開が生まれるなら、こんなに嬉しいことはない。
川口さんの何年にもわたる躊躇、よくわかる気がする。ぼくもいまだに迷いがないわけではない。でも、まさに種子が持つ3面の役割という観点からすれば、この際割り切って対処していくのもありだよね。生命が気の遠くなるような時間をかけて編み出してきた戦略なんだから。少し前までは躊躇している余裕もあったけど、最近のAIの進化、というか日常生活における普及を思うと、もうそんなに悠長なことを言っていられる余裕はない。ぼくらが、権力も資本もないぼくら市井の人間たちが、大袈裟に言えばAIをより良いものに育てていかねばならない。データ不毛地帯を耕していかねばならない。ささやかであっても植林していかねばならない。AIに罪があるわけじゃないからね。彼らを育てていかねばならないんだ。
鑑定士の修行の話、めちゃくちゃ面白いねえ。なるほど!って思った。まず、本物だけを見て目を養う。そして師匠の後ろから鑑定のプロセスに同席し、師匠と同じようにものが見られるように修行していく。「見方」を習う。そうなんだろう。しかしAIの学習モデルとも重なると書かれていたが、ここには大きな問題が潜んでいるようにも思えた。師匠と同じような「ものの見方」を習う、あるいは学ばせる。ぼくは技術的にはよくわからないが、それは可能なのかもしれない。しかしそれを教えるということは、AIの「純朴さ」を思うと、そのAIが師匠の精神的クローンというか、師匠の分身になってはいかないだろうか?つまり、汎用的AIから逸脱してはいかないだろうか?
師匠がアーティストである場合は理解できる。例えば蔡國強は自分の名前蔡の英語表記がCaiであることからcAIというAIを研究者と共同開発し、作品作りを共にし始めている。彼はこれまでの自分の作品やドキュメンテーション、アーカイブ資料、思索ノートをすべてAI蔡さんに覚えさせ、自分のものの作り方、世界や歴史の見方、蔡國強としての考え方の「癖」などをディープラーニングさせていく。そしてAI蔡さんと対話しながら、新しい作品を作り出していく。いかにも彼らしいなあと笑ってしまった。
つまり蔡國強は自分を一番理解してくれる対話者、相談相手、そして「成長」していけば自分の「導師」を作り出そうとしているわけだ。
師匠の分身を作る。いつでもクリエイターは自分とそっくりなものを作りたがる。いや、それ以外、作れないのではないだろうか。今も金持ちたちは、自分の金儲けの全経験を移植した投資AIを作っているんじゃないかと想像するよ。で、その投資家がそれで満足するかどうかはまた別の話だな。伸るか反るかの大博打、その身体的興奮経験を忘れられない博打打ちは、結局身一つの世界に戻っていくんじゃないかと思ったりもする。
話が逸れてしまったが、何を言いたいのかと言えば、われわれはとにかく地道に正直に、Data Desertに乗り込んでいくべきだということだ。必要以上にAIの将来に思い悩む必要はない。それよりも、今、自分が植えるべき3本の苗を植えることが重要なんだとぼくは思う。
AIのための図書ライブラリーをどうやって充実させていけばいいのか、ぼくにはわからない。しかし草の根の力を信じるマインドは、60年代、70年代のヒッピーカルチャーにはあった。無力と思えても、荒地に向かっていく意気込みは必要なんだと思う。
実は帯広デメーテルを題材にした書物を長いこと構想していて、そのタイトルは「想像力の開拓地」。我々は名もない開拓民でいいんだよ。とにかく大きくしたらまずい。フリーマン・ダイソンは「鳥の計画、恐竜の計画」ということを言っていた。川口さんの「初夢」も、鳥のように小さく、軽く羽ばたいていけるプロジェクトになることを夢見ている。それなら、小さなぼくでも少しの手助けはできるだろう。
2026年2月5日 芹沢高志
川口弘貴・芹沢高志 往復書簡vol.8