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芹沢さま
偶然が重なり合って今のP3に繋がっていく大きな転換期の話。芹沢さんにいつか聞いてみたいことの一つでした。すごい話ですね。ボヤでその本だけ燃えてしまったり、新著を手にした時にヤンツの訃報が届いたり。心地良い興奮を覚えながら一気に読み終えました。
約40年前、自分が生まれた頃に芹沢さんがどう生きていたのか伺えて嬉しいです。なぜ今ここでこれをやっているのか、自分もこれまでのことを思い返してみると、いつも「たまたま」の重なりや縁起が関係してきたように思います。
手紙を読んで、自分の主成分はここで生まれたものの影響を受けて構成されているものだったんだなと改めてそう思いました。
自分の話になってしまいますが、何十年ぶりに思い出したことを書いてみようと思います。15歳の時、ビルの屋上から20m下に落ちてしまったことがあります。倒れ込んだ体の下にはダイエーホークスの優勝横断幕があり、そのロープにたまたま引っかかって衝撃が吸収されたんじゃないかとのことでした。野球は全く詳しくないのですが、35年ぶりの日本一、球団創設後初優勝の直後だったと聞きました。
唯一覚えているのは病院のエレベーターの景色で、エレベーターが下降した瞬間、徐々に身体から遠のいていって自分を上から見下ろしていることに気付きました。「良くて植物状態かもしれない」と誰かの声が聞こえ、そこから言葉ではうまく表現できませんが、いわゆる臨死体験を経験したんだと思います。
一度も見たことがないエレベーターの裏側の配線が見え、大気圏を抜け地球の遥か向こうに意識を飛ばされました。映画や何かで見た過去の記憶の断片を再編集して脳が見せた幻覚かもしれませんが、とにかく何なのかわからないその時間は、考え方が一変する程の強烈な経験でした。
ある日満床だった病室が急に空いて部屋を移動することになり、しばらくして担当の看護師さんが、ここにいた人は2mの高さから落ちて亡くなったんだよと話してくれました。君が生きているのは本当に稀なことなんだと。
祖母の「これからは拾った命と思って生きなさい」という言葉を今もよく思い出します。
本来は存在しなかったであろう時間の中で生を噛み締めました。けれど同時に、これからの時間はもともとあってないようなものなのだから、実験的に生きようと決めたのを覚えています。
時々、ちょっとでも何かが違っていたらわずか15年の人生だったんだと夜中にふと我に返って身震いし、自分が今息をしているか確かめていました。撮ることや記録に残すこと、失われていく文化をアーカイヴしたいと拘るようになったのはこの頃からです。
入院中も退院後も、ずっと臨死体験のことを思い返していました。あの経験はなんだったのか。その頃出会ったのがビートニクの文化です。『ホール・アース・カタログ』でフラーを知り、宇宙船地球号の考え方を知りました。
死の隣で見た景色の答え探しをするように東洋思想と融合したカウンターカルチャーにのめり込みました。若かったこともあり、この頃に知ったことは木の年輪でいう限りなく芯に近いコアの部分にずっとあるような気がします。英字でしか漂っていなかったカルチャーが芹沢さんを介して日本に流れ込んできた。それが巡り巡って、当時死にかけていた15歳の自分に深く刺さりました。
カルフォルニアで起きたムーヴメントのように、最先端を走る物理学者や量子力学の泰斗たちが東洋思想に傾倒していくのがとても不思議でした。そもそも自分がいる日本を含む東洋の思想とは何なのかと。鈴木大拙を逆輸入的に知り、禅やヨーガ哲学に興味を持ち始めました。
量子論の育ての親でもあるニールス・ボーアは易経、湯川秀樹は仏教哲学。ヴェルナー・ハイゼンベルクはタゴールに教えを請い、エルヴィン・シュレーディンガーはインドのヴェーダーンタ哲学に没頭した。彼が、不確定性の問題に行き詰まった時、その一助になったウパニシャッド。“Tat Tvam Asi” それがあなたであり、わたしはそれであり、すべてはそれである。インドで知ったこの詩節が、ファインダーを覗くたびに頭をよぎります。
生化学者のルドルフ・シェーンハイマーによると、摂取した食べ物の分子は即時に目、耳、ヒゲ、心臓、肝臓などの各細胞の分子と置き換わり、元々あった分子は破壊されて外に抜け出るんだそうです。
37兆個の細胞でできている人体にとって、食べることは絶え間なく分解と構成を繰り返す行為であり、自分を構築している全てのものは、常に自分の外の世界のものと入れ替わっている。新しい自分に成る材料の取捨選択を間違えずに食べることこそ、ある意味での再生医療なのだなと感じています。
今日日、宇宙船地球号の船内にも、体の内外の交換サイクルにも、入ってきてほしくないものが掘り起こされ漏れ出してしまっている。例えばウラン238の半減期が44億6800万年ということを考えると、果たしてそれらと一線を引き続けられるのかどうかと心配になります。
そして船員である人間の人体という乗り物にも40兆個もの細菌が宿っている。細菌は常に出入りしていて、自分と世界の境界線、例えば皮膚のアウトラインが線で、分子、原子、素粒子の世界までズームしていくと、そこすらもグラデーション状に世界と交わっている。これは不二一元論(アドヴァイタ)と通ずるようにも思えます。世界と自分を隔てる境も線もそもそもない。内も外もない。表層に一つ一つが顕現して個に見えているような幻。一つ一つの波頭も全て海の一部であるように。“Yatha Pinde Tatha Brahmande Yatha Brahmande Tatha Pinde” あなたの外にあるものは全てあなたの中にある。
意外でしたが、人間はある意味では動物の中で一番脳の情報処理が遅い生き物なんだそうです。他の生物は条件反射で反応するので速い。人間は情報処理を遅くすることで自由を得ている。速くすればするほど世界に引きずられてしまう為、わざと情報処理を迂回させている。
人工知能の次なる進化の方向は情報を処理しない状態を生み出すことだとも言われていて、「情報処理しない」ということがAIにとって重要な意味を持つ。AI自身が禅を行う、AIにも瞑想中のような状態が必要だと研究者は考えているそうです。
0という概念を生んだインドの哲学と数学や物理の世界との呼応、そういった西海岸のムーヴメントからコンピュータ文化を花開かせたウォズニアックやジョブズ達、彼らもまたエリッヒ・ヤンツを読んでいたそうですね。
AI、量子コンピュータ、そして対流圏通信で書かれていたジョージ・ダイソンのアナロジアの世界、アナログとデジタルの交差点へ。増幅するものや減衰するもの。進むほどに浮き彫りになってくるもの。インターネットの普及によって世界を遊動できるようになったように「時代」と「アートプロジェクト」の交わりからどんなものが生まれてくるのでしょうか。
芹沢さんが「計画」というもののあり方に疑問を感じていたという話、前回お会いした時に「アート」と「プロジェクト」は相反すると仰っていたのを思い出しました。
10年前、ひょんなことから芹沢さんと出会い、業の肯定というか、不確実性を享受して楽しむ、そういう向き合い方に影響を受けました。
あれから不確定に様々なことが変わっていく中でも芹沢さんとの縁は残った。その時に生まれたご縁で今こうやって書簡を交わせていると思うと、本当に人生はわからないものだなと、深く共感します。
また長々と書き連ねてしまいました。
お返事楽しみにしています。
2025年6月15日 川口弘貴
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川口さま
15歳の時の事故のことや臨死体験、普段は聞けないようなことまで教えてくれて本当にありがとう。きみの今の興味とか考え方がどうして生まれてきたのか、何か深く納得がいく気がしました。ぼくは理論とか哲学とかは、自分の経験を通してたしかにそうだと思えるようなことでなければ、本当の力にはならないと思っているんだが、川口さんもそういう言葉たちを見つけ出しているんですね。あれ知ってる、これ知ってる、じゃない。それは生きられる哲学です。
別に張り合うつもりはないけど(笑)、ぼくもこんな話を伝えておこう。実はぼくは「先天性虚弱児」として生まれてきました。母のつわりがひどくて、ほとんど菓子パンしか食べていなかったから、生まれた時はガリガリに痩せていた。お祝いにきた人たちが、褒める言葉もないので仕方なく、「鼻の高い赤ちゃんね」と言うより他になかったと聞きました。武蔵境の日赤で生まれたのだが、こういう大病院のシステムにも馴染めなかったようです。半分眠りかけた時にしかお乳を飲まなかったが、これが病院の授乳の時間とずれていた。そして無理やり飲ませれば、お乳をすべて吐き出した。退院時、医者はあまり長く持たないかもしれないと告げたそうです。
親は必死に色々な病院を駆け回り、最後に飛び込んだ近所の小児科の先生が、ぼくを見るなりブドウ糖とビタミンKの注射を打ってくれた。あんたの腕より太い注射器だったよと母は言う。
すべて母から聞かされた話だから、川口さんと比較できるリアリティはまったくないのだけれど、きみのおばあさまがおっしゃった「拾った命」という言葉、ぼくも自分自身に対して、今も強くそう思っています。
手紙を読んで色々なことを思うのだけど、まず、ぼくたちの代謝のことを考えてしまいます。いったい「ぼく」ってなんなんだろうということだよね。37兆とも40兆ともいわれる、ぼくらの身体をつくっている細胞。それが外界から食べ物を摂取することで、絶えず分解と再生を繰り返している。
しょっちゅう話したり書いたりしてきたから、もしかしたらまたかという話になってしまうかもしれないけれど、ぼくはクロノのことを思い出す。
あの頃、ぼくと妻は吉祥寺の鰻の寝床みたいな木造アパートの一室で暮らしていたんだが、その前に亀井勝一郎の邸宅があって、そこからネコが家出して、我が家にやってくるようになっていた。それが本当なのかどうかは知らないけれど、近所の人がそう言っていたから、今もそう信じている。いわゆる白と黒の「ハチワレ」のメスだった。
そのネコがいつくようになったので、名前をつけようということになったのだが、ちょうどカート・ヴォネガット・Jrの『タイタンの妖女』というSFに夢中になっていた頃で、そこに「時間等曲率漏斗=クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム」というのが出てくるので、それを名前にしてやった。後ろから見ると黒猫だから、これでいいんじゃないかと適当につけたんだが、さすがに長くて言いにくいから、ただ「クロノ」と呼ぶようになっていった。
『タイタンの妖女』は今も大好きなSFです。ウィンストン・ナイルス・ラムファードという男が自家用宇宙船で愛犬カザックとともに火星に行こうとするのだが、その途中で太陽の中心からペテルギウスに至る螺旋状の特殊領域、「時間等曲率漏斗」に突っ込んでしまい、その領域のあまねくところに存在することになってしまう。そしてこの漏斗と地球の公転軌道が交差するときにだけ、地球の上に仮初に実体化するんだ。
ある日、床に細長い半透明のものが落ちている。拾うとクロノのヒゲだった。彼女を抱き上げてよく見れば、小さなヒゲが生え始めている。そうか、そうだよな、クロノのヒゲは抜け落ちて、新しいものと生え替わる。
そのとき、ふっと不思議な気分に襲われた。クロノはえらく偏食で、出会って以来、キャットフードの「ピュリナ・キャットチャウ・ミックス味」というドライフードしか食べていなかった。ということは、今生え出したこのヒゲは「ピュリナ・キャットチャウ・ミックス味」ということになる。しかし「ピュリナ・キャットチャウ・ミックス味」を水で練ってネコの形にしてみても、当然クロノにはなり得ない。クロノという存在は、クロノに成り続けている「現象」なんだと思った。今、この場所で実体化している仮初の存在。その頃ヤンツの本に取り組んでいて、そこに出てくるイリア・プリゴジンの散逸構造って、そんなもんじゃないだろうかと一瞬閃いた。クロノはクロノに成り続ける。「在ること」から「成ること」へ。ものの見方が一変する瞬間だった。
最近タモリと山中伸弥が司会を務めたNHKの「人体III」を観たのだけれど、とても面白かった。『自己組織化する宇宙』は原著が1980年の出版で、その後生命科学は驚くほど進展して使われる用語も変わっていたけれど、基本は変わっていないから、なんとか理解することができた。しかし40兆個の細胞のひとつひとつのなかで無数のアミノ酸構造物、番組では細胞内キャラクターと呼ばれていたが、が協働している姿は、感動というより、本当に奇跡を目の当たりにしているんだという印象を持ちました。言葉にならないよ。本当に言葉にならない。それがぼくたちなんだ。
LUCAの話も出てきた。Last Universal Common Ancestorの略で、現生生物の最終共通祖先ということになる。最初の生命が誕生し、それが進化して現在の古細菌と細菌に分岐する直前の生物。確かに理論上は、そういう祖先が存在したことになりますよね。それが40億年とかの年月、分裂分化して我々になっていく。こういう最初の特異点に遡っていく思考は、ビッグバンでもそうだけれど、それこそアートの営みだとぼくは思っている。「グローバル」なんかじゃなくて「ユニバーサル」な思考。まさに蔡国強の「原初火球」だね。だからぼくはアートプロジェクトもアートなんだから、規模の大小とかじゃなくて、こういうユニバーサルな思考を持つかどうかが極めて重要だと思っている。根源を想起する力だ。
そういえば『自己組織化する宇宙』で知ったのだが、始原と結びついていて、そこまで遡っていける特性を「レ・ジリオ Re-ligio」と呼ぶんだそうだ。アートが宗教と相同的な関係にあるのは間違いないが、ぼくは好みとしてアートを選んでいくことになった。
まだまだ思いは走っていくけれど、ぼくも長くなってしまったから続きはまたいつか。アメリカがイランの核施設を攻撃し、世界はますます混乱していきそうだし、厄介な放射性物質は偏西風に乗って世界に拡散していくだろうが、とにかくぼくたちはこうやって対話を繰り返していくことにしましょう。
2025年6月22日 芹沢高志