往復書簡を始めるにあたって
自分のなかで自問自答を繰り返すこともそれなりに意味があり、一人っ子として育った自分としてはごく身近に感じる行為なのだが、どうしても関心が閉じてしまい、自分が考えやすい対象の周りばかりを旋回しているような気にもなってくる。そこから抜け出していくために試みようと考えたのが、この往復書簡ということになる。考えてみれば、自分の人生で、対話こそがすべての源泉だった。心のキャッチボールの相手になってくれた方々に深く感謝している。
川口弘貴さんとは、ひょんなことからラオスをいろいろ案内してもらい、その時交わした会話がとても印象的だったから、以後、時折交信を続けさせてもらっている。(芹沢高志)
----------
芹沢さま
お久しぶりです。改めまして、明けましておめでとうございます。
会うといつも話したいことが尽きず、時間が足りないと思っていたので、これからどんな対話が広がっていくか楽しみです。
奄美大島に来て、もうすぐ二年が経ちます。
島の人たちは旧暦と新暦、二つの時間軸の中に生きていて、ひと昔前までは官公庁や郵便局も旧正月には休みだったといいます。吐噶喇列島にはさらに「七島正月」という習わしがあり、昔通っていた頃に三度正月を祝ったこともありました。同じ言語が通じていることが不思議なほど、シマ(集落)ごとに異なるレイヤーが存在していて、沢山の「違うこと」に出会いながら日本が縦に長く列なった島々であることを改めて噛み締めています。
最近知ったことで一番痺れたのは、ノロというシャーマンが着るカミギンという衣装についてです。
奄美には夏正月と言われる「アラセツ(新節)」があって、そしてその一週間後の「シバサシ」という儀礼では、シバサシノカミを家に招き、シバサシギンと呼ばれる着物を祀る習俗があります。この着物の一群はノロの神衣で、カミギンと呼ばれています。中でもハブラドギンという神衣は、全体が直角二等辺三角形の三角布213枚で接ぎ縫いされていて、その三角布のパッチワーク、仕立て方、一目落としという縫い方に至るまで、ラオス北部ルアンナムター県のモン族のシャーマンが着ている装束に瓜二つで、なんでここにこれが、と思わず声が出ました。
この周辺に住む他の少数民族も同様で、衣以外にも、民具、歌垣、鳥居、餅つき、発酵食など、類似点をあげればきりがありません。以前鹿児島や別府の竹工芸の技法を習った時にも、ラオスと全く同じ編み方がいくつも存在していることに驚かされました。
ちなみに、ルアンナムターは滝がいくつもある所で「雫が集まって川の始まりとなった地」と呼ばれています。「ルアン」は「大きい」または「地域」という意味で、「ナムター」というのは「ナム(水)」と「ター(目)」から成るラオス語です。「なみだ」と「ナムター(涙)」、響きがあまりに近いのは偶然か必然か。長年日本の源流を辿る旅に時間を費やしてきましたが、奄美に住んでまた新たに知ったことが、この島に来た縁を改めて感じさせてくれました。
ハブラドギンの「ハブヰラ」は蝶のことで、おそらく変容の神秘性を象徴しているのではないかなと考えています。幼虫が蛹となり、一度ドロドロになったあと蝶となるプロセス。その間、記憶は保たれたままだといいます。それはただの成長過程なのか、それとも人間にとっての「死とその先」に近いようなものなのか、脱皮中の蝶に尋ねてみたいところです。
また、ノロの髪飾りの蝶を模した三角布の装飾の数は、一・三・七を基本にしていて、三角の形とともに魔払いするという意図が表されているそうです。自然物の対極にあるような形状が、安定や永続、弥栄を感じさせるのか。数理の発祥も大きく関わっている気がします。人類が普遍的に求める「三角形」の象徴性とは、大地への安定か、それとも天空への志向か。人間にとって「三角」という形の存在はいったい何なのだろうと、気になっています。
メコン川沿いに暮らしていたチベットD2系統のDNAを持つ民族が川を下り大海へ。そして、アジア大陸から山の民が、そして太平洋諸島からは海の民が、台湾などを経て南西諸島の島々を渡りながら南九州へと辿り着いた。その壮大な人類の移動に思いを馳せると「国境」という概念、「日本人」というアイデンティティそのものが、実に曖昧なものに思えてきます。
カヌーとスターナヴィゲーションの組み合わせを手にした民族にとって、現在自分がどの国に属しているかという意識はそもそも存在しなかったでしょう。海や山、様々な地域から来訪する神々(マレビト)を招き、異なるものを受け入れ独自のものに昇華してきた日本の祝祭。
同じものと異なるもの、民俗文化に明確な境界線を引くことはできず、全ての線には本来濃淡があってグラデーション状に混じり合っている。北でも南でも同じアリランを聴いて泣くように、線はただの線にすぎない。他国に住む人々を「自分たちとは異なる民族」と捉える発想もまた、時代とともに変容していくのかもしれません。
台湾から東にわずか111km先にある日本最西端の与那国島。その国境の島から馬毛島までの南西諸島の「盾」。年々軍事演習が活発化し、早朝深夜を問わず飛行音の振動が家を揺らします。旧正月というハレの日、その盾の要である奄美大島で足早に駆け出していく戦前の空気感を肌で感じています。
去年も、一昨年も、その前も、私たちは崖の縁で踊っていたのかもしれません。
良くも悪くも、世界は急速に均質化しています。地球がより小さく感じられる現代において、隣国の人々を「隣県の人々」のように身近に思える日が来るのか。変えなければならない世の流れと、流れに変えられてしまわない自分の心、その双方が必要だと感じます。そもそも争っている体なのかもしれませんが、国境を巡る争いが無くなることを願うばかりです。
今年も家のすぐそばでルリカケスの巣作りが始まりました。巣は木の低い位置にあって、中の様子が簡単に覗けてしまうほどです。島の中だけで生息する奄美固有種のルリカケスだからこそ生まれる警戒心の緩さであり、彼らにとって人間は自分達に手出ししない存在だという認識なのだそうです。
羽根の美しさから過去には乱獲されたこともあったそうですが、今は信用が回復したのか、お互い付かず離れずの均衡を保っているようです。
短い冬が終わり、島で越冬していた渡り鳥たちは、もうすぐ本州に戻って行きます。東京はまだまだ寒さが厳しいと思いますので、どうぞご自愛ください。
2025年1月29日 川口弘貴
参照:川野和昭 『奄美のノロ神装束とラオス北部の民族衣装の意匠を中心に』
----------
川口さま
お手紙、ありがとう。今は奄美大島にいらっしゃるのですか。この前、と言ってももう3年も前になってしまったけど、徳之島に行きました。雨上がりの夕暮れの空と空気の匂いが今も忘れられません。もう身軽に旅することはできなくなってしまったけれど、お手紙が南からの風を運んでくるようで、とても嬉しかった。
さて、どこから対話を始めようか?のっけから三角布のパッチワーク、カミギンの話や、われわれが生きるこの島々の繋がり、列島、多島海というあり方、そしてそれらをつなぐ航海術について語り始めてくれたから、いやでもぼくはバックミンスター・フラーの世界に飛んでいってしまう。『宇宙船地球号操縦マニュアル』にも同じような話は出てくるけれど、今頭の中に広がるのは『テトラスクロール―少女ゴールディと3匹の熊たち』という、彼が最晩年に描いた石版画絵本の世界です。知っての通り、バッキー・フラーはジオデシックドームを発明したり数々の革命的な概念を提唱したりした前世紀の巨人だけれど、そんな彼が人生の黄昏に、自らの全思索のエッセンスを童話仕立てで語ろうとしたことに深く感銘を覚えます。
少女ゴールディは浜辺にひとり佇み、夜空に浮かぶ3匹の熊たちと対話を始める。三角形や四面体に基礎を置く宇宙のデザイン原理、永遠に再生を繰り返すこの宇宙、人類の誕生、水の人々と陸の人々、「より少ないものでより多くのことをなす」技術、そして人類社会の今後への指針。ここに紡ぎ出された数々の物語は、物語という形はとってはいるものの、フラーという人が生涯をかけて直観で発見し、考え、信じ、行動の原理としてきた事柄に他なりません。彼自身に言わせれば、「数学や哲学、その他なんでもかんでも、私が考え感じたすべて」ということになる。うーん、思索のすべてを童話で語るなんて、本当に憧れてしまいますね。
今はかっこよくて難解な言葉で世界を語り、正解として言い切っていくのが流行りなんだろうけれど、ぼくにはそれがどうしてもできない。この不可解な世界を前にして、ぼくも童話のように、余白に満ちた物語を語っていくことしかできそうにない。
どうもフラーは、人類がオーストロネシアの環礁(ラグーン)で生まれたのではないかと思っていた節があります。それが事実かどうかは別として、彼が語るラグーンでのわれわれの進化の様子は感動的だ。われわれはすぐにも「木は水に浮き、石は沈む」ということ学んでいったと言うのです。そして、彼が描いた幾つもの絵がとてもチャーミングなんだが、流れてきた一本の丸木に乗ろうとしても、それはクルクルと回ってしまい、どうにも具合が悪い。ところがこれら丸木を何本か束ねてみると、もうクルクルと回ってしまうこともなく、水に浮かぶ安定した道具ができる。木を何本も結えつければ、もっと大きなものを作ることもできる。筏の発明だ。あるいは枝がついた2本の木が流れてきたら、その枝と枝を結んでやれば安定する。そしてその一本の丸木の方をくり抜いてやれば、アウトリガーのついた丸木舟ができるというわけだ。椰子の葉を縫い合わせてマストに縛り付ければ、風を受けて航海もできる。そしてこの帆を左に、次は右にと、吹いて来る風に対して帆の角度を変えながらジグザグに進んでいけば、つまり「間切り」を続けていけば、風上に向かっても船を進めることができると発見する。帆の角度は、吹いて来る風に対しておよそ30度。帆の風下側の前方に気圧の低いところが生まれ、舟は抵抗が少ない方向へ、つまり前方へと引っ張られていくというわけだ。こうして環礁の舟乗りたちは、すぐにも水上の生活に親しみ、半分は陸上、半分は水上の生活を送っていっただろうと彼は言う。ここに難しい話はないですよね。だから、ぼくは深く納得するんだ。
考えてみれば、フラーの技術は海の技術だったと思います。マストを立て、ロープで引っ張る。圧縮と引っ張りの力を整理して、最小限の部材で最大の効果を引き出していく。彼のいう「より少ないものでより多くのことをなす」技術とは、海で培われた技術であったとぼくは思う。
そしていつしか、われわれは大型の海洋動物の死骸から、リブとキールの構造を見つけ出していく。肋骨の構造だね。こうして遠洋の航海にも乗り出すことができるようなった。
エデンの園の物語も、彼はこんな風に考える。イブとはリブ。アダムの肋骨(リブ)のデザインから生まれた強度のある船だ。イブはアダムを乗せて、海の神、海ヘビ、ナーガに誘われるまま、世界の海を旅していく。そしてナーガはイブを使って、ほら、地球はリンゴのように丸いんだよとアダムに教えていく。
海ヘビ、ナーガ。フラーに触発を受けたタイの建築家、スメート・ジュムサイは『水の神ナーガ』という素晴らしい本を書いていた。そういえば、今年は巳年、ヘビの年だね。
でも、こうして海の人々、水の人々に想いを馳せていくと、国境なんてどれほどの意味があるのかと思ってくる。確かに、お書きになっているように、違いと言ったって、グラデーションにすぎないわけだ。ぼくはよくpH、水素イオン濃度のことを考えるけど、酸性とアルカリ性、二つに明確に分けて考えること自体、どうなんだろうと思ってしまう。
この日本という国は、およそ1万4000の島々からなっている。大きく見ればそれが列状に並んでいて、さらにその島々は、きみがいる南西諸島、尖閣諸島、台湾、バタン諸島、バブヤン諸島、フィリピン、ボルネオ、インドネシアへと繋がっていく。そう、ここは群島、多島海なんだ。
今、この多島海という思考モデルが、本当に大切だと思っている。それはトランスローカルという概念にも通じる。インター・ナショナルではなく、トランス・ローカルという視点だよ。
確かに島の精神は、ややもすれば閉じやすいだろう。日本人もよく、島国根性とか自嘲するよね。島国根性とは、Oxford Languagesには「外国との交渉が少ないため、視野が狭く、他人に対する許容力も乏しく、こせこせしている。島国の住民に一般に認められる傾向」なんて書かれている。確かに島は土地という観点で見れば閉じているし、孤立している。言い換えれば、よくも悪しくも、そこでまとまっている。まとまっている以上、意識が内向きになりがちなのは仕方がないだろう。自分が生きるローカルをまず第一に考えることは、決して恥ずべきことでもなんでもない。
しかし、それだけでは足りない。動的平衡は基本の基本だが、時々かき混ぜてやらないと、精神も行動も沈滞していく。非平衡こそが新奇性を生み出す。もちろん、非平衡は恐ろしさも持つ。たとえば現代に広がる極端な経済格差などを見ていると、近いうちにシステムの安定を脅かすような大変化も生まれていくのではないかと予感する。もちろんシステム内に生きるものとして、それは怖い。でも、達観するわけではないけれど、大域的に見れば、こうしたカタストロフィも必要な成り行きなのではないかと思う。われわれにはそのカタストロフィを、なるべく壊滅的なものにならないように、できれば個人の創造性の範囲内、あるいはローカルな範囲内で、吸収される程度に抑え込んでいくように努力することくらいしかできないのではないだろうか?要するに、バランスとアンバランスのメタバランスのセンスが問われているのだと思うんだ。そして島で言えば、そういう非平衡の源泉が「マレビト」なのだろう。
少し長々と書いてしまったね。それでは、次のお手紙を楽しみにしています。
2025年3月24日 芹沢高志
----------
川口弘貴 プロフィール
写真家。1984年熊本生まれ。
自作の暗室で現像していた祖父の影響を受け、譲り受けたカメラで写真を撮り始める。
10代から旅を繰り返し、南西諸島やアジアでの民俗採集をきっかけに、2013年からインド、ラオスに拠点を移す。2018年に帰国後、福岡、京都を経て、現在は奄美大島でのフィールドワークに取り組んでいる。
https://kokikawaguchi.com/
<写真:川口弘貴>