FAMAを主宰するスアダ・カピッチはベオグラードで活動していましたが、ボスニアで戦争が始まる直前に生まれ故郷のサラエボに戻りました。異なる文化的・宗教的背景を持つ普通の人々が隣り合わせに暮らす街が、ある日突然、重火器と狙撃兵に周りの丘を取り囲まれた人質都市となり、友人や家族と同じ単なるサラエボの一市民として、彼女もその一員となったのです。

電気・ガス・水道は断たれ、部屋の中で窓際に立てば狙撃され、ほとんど品物の無い市場に行けば爆弾を落とされる。国際的な文化都市サラエボは、原理主義に立ち向かい、多様性を守って、不可能な中でも普通の都市生活を続けようとすることで人間性と品位を保ちました。この展覧会は、メディアでは報道されることがなかった彼らの日常生活の知恵の記録です。

本展を開催したことにより、同年11月に包囲下のサラエボからカピッチを招聘し、「サラエボ旅行案内」日本語版を出版する運びとなり、その様子は各局のニュース番組などで報道されました。

会期:1994年4月22日〜5月7日
会場:東長寺講堂P3
主催:P3 art and environment
協力:JACA