対馬丸記念館計画

2002-2003年

1944年8月22日、奄美大島の北側にある悪石島付近で、沖縄から九州へ向かう学童疎開船対馬丸が、アメリカ海軍の潜水艦ボーフィン号の魚雷を受けて撃沈された。乗船していた1661名のうち、学童767名を含む1484名が命を落とした.
この対馬丸の悲劇を過去の歴史にとどめることなく、未来への道しるべとして繰り返し再考しつづけるために、財団法人対馬丸記念会によって「対馬丸記念館」の建設が構想され、そのワーキングチームの一員として、芹沢が建築計画、活動計画の策定に関与した.
従来のジオラマなど造作展示中心の考えを排し、語りを中心とした子供たちへの伝承活動と、沖縄全県を射程に入れたネットワーク型の映像アーカイブ構築や、生存者に対するビデオインタビュー制作、対馬丸に触発された新作短編映画制作、あるいは対馬丸映画祭の開催など、映画/映像を中心とした活動を軸に活動計画を立案した.また建築計画では光の演出を重視し、室内においては照明光源がいっさい目に入らない照明計画を進めた.
しかし基本計画をまとめた段階で体制が激変し、残念ながらワーキングチームはその後解散、実施計画には関与しなかった。

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